さてさて、時間なんてもんは待っていれば勝手に通り過ぎていくもんでして。
なんだか正直いつまでたっても本当に北海道に行けるという実感がわかなかった。
もっと言うとそのうち事故っちゃったり、受け入れ先に断られたりしてポシャるんじゃないかなんて気がしていた。
いままで自分だけその気になっていて、いざ近くなるとやっぱりだめだったなんてことが今までに数回あった。
だからなんとなく懐疑的になっていたのかもしてない。
その日、東京地方は夏が戻ってきて、日差しが強く暑かった。
いつも会社に行っていたときとかわらない時間に起きた。
あぁ、きたな。
なんだか意外なほどあっけなくきた。
9月19日(火)
北海道に行く日。
羽田空港でもすみっこの方にある搭乗口から、今までに乗った中で最も小さな飛行機「スーパードルフィン号(本当にそういう名前らしい)」に乗って一路オホーツク紋別空港へ。
で、この空港、上空から見ると、それはそれはびっくりするほど牧草地のまっただなかにある。
…というより飛行機の窓からは牧草地しか見えなかった。
1日4便しか発着しない、こじんまりとした空港。
そして北海道に降り立った私の第一声は「うっ寒っ!くさっ!」だった。
30℃あった羽田空港から、一気に台風前の強風が吹きつける18℃しかないところにきたのだから寒いのは当然にしても、臭いとはこれいかに!
空港でありながら、空気に家畜のにおいがするのだ。
いくら酪農が盛んだといっても、正直ここまでだとは思わなかった。
JAの職員さんに迎えに来てもらい、町まで連れて行ってもらう。
少し走っただけで「あぁ外国に来た」という気分になった。
空の広さが違う。
木の種類が違う。
道の広さが違う。
道路標識まで違う。
信号は縦についているし、道路に沿ってずっと下向きの矢印が立っている。
どちらも雪が降ったときの対策だそうだ。
空港から少し行ったところに店が数件。
あとはひたすら牧草地か林だけ。
そして点々と見える白黒の物体。
いた!牛だ。
この日は夕方にちょっと飲みに行って終了。
チャンネルがさっぱりわからないテレビで北海道放送を眺めつつ、ひたすら寝る。
やっとこのへんで北の地に来たという実感がわいてきた。
9月20日(水)
長いこと運転していなかったが、腹をくくらなけらばならない。
ここでは車がないとなにもできない。
それくらいどこも広いのだ。
しかも道の幅がえらいこと広いから、スピードを出しても全然わからない。
東京周辺の体感速度で時速40キロは、ここでは60キロになる。
ここで事故ったら、しかも軽自動車でトラックなんぞにぶつかったら、ぺしゃんこになるだろう。
慎重に、でもすっ飛ばして、久しぶりに運転した。
買い物にはまったく苦労しない。
コンビニは歩いて5分の距離。
車で5分走ればスーパーがある。
物価も東京とほとんど変わらない。
道産の野菜や魚が多く、ついついたくさん買ってしまう。
実家から送った荷物が届き、台所用品や冷蔵庫の中が充実すると、急に家らしくなってくる。
初めての一人暮らし。
結構楽しいかも。
昼ごろに働きに行く酪農家さんにご挨拶に行く。
牛たちは放牧されているため、牛舎にはあまりいない。
想像していたよりも、臭くない。
フンのにおいというよりも、草のにおいが強い。
空港降り立ってからずっと牛の香りを嗅いできたから慣れたのかもしれない。
そこら辺にうろうろしている猫にすりよられながら、酪農家さんのお宅で地物のエビをごちそうになる。
夜は、近くの酪農家さんのお宅でタラバガニの刺身やゆで毛蟹をいただく。
9月21日(木)
初仕事の日。
朝4時半に起きて車で15分。
つなぎと長靴を装備して早速牛舎へ。
通路をほうきで掃き、牛フンを掻き落とし放牧から帰ってきた牛たちをつなぐ。
それにしても、牛ってでかい。
正面から見ると、穏やかな顔をしているけど、後ろに立つと腰の高さが自分の背丈くらいある。
しかもその高さからうんこやらおしっこを投下する。
足は太いし、乳はビーチボールサイズだし、しっぽはムチみたいにぶんぶん振っている。
けっこうな迫力だ。
子牛はめっちゃかわいい。
近くによると、べろべろなめてくる。
ちなみに親牛はなめない。
近くによると顔をそむけるのだ。
手を伸ばすと、すっごく嫌そうな顔をする(気がする)。
初日にしてさっそく搾乳をさせてもらう。
声をかけて体をばしばしたたくと、牛が振り返る。
入るよ〜絞らせてね〜拭かせてね〜おつかれさま〜と言いつつ、搾乳機をセットしていく。
しかしこれ、あのでっかい牛の下にかがみこんで作業するもの。
まれに足で蹴られそうになる。
そして頻繁に、うんこの付いたしっぽでぶったたかれる。
これがまためちゃ痛い。
でもなんだか憎めないんだな。
夜はお世話になっている酪農家さんに、居酒屋でごちそうになる。
…しかし北海道にきて3日連チャンで夜出歩いているため、だいぶ疲れが出てくる。
9月22日(金)
この日は搾乳の勉強会兼交流会があるというので、参加させてもらう。
…が、やはり疲れがたまり、眠気とめまいに襲われ、車の中で休ませてもらうことに。
帰ってしっかり寝て、午後の仕事までには復帰。
ところで、搾乳は朝と夕方に2回行うため、仕事は5時半からの4時間と、16時からの4時間働く。
昼間はひたすら寝る。
1日2回出勤して1日2回寝るため、1日が2日に感じられる。
初仕事から2日目にして妙に慣れてきた。
あいかわらずしっぽでぶったたかれているが…。
9月23日(土)
ちょっと悲しい出来事。
足が悪く立てず、息も荒くてつらそうだった牛が出産していた。
しかし、まだ半分羊膜をかぶっている子牛は息をしておらず、ぴくりとも動かない。
親牛もしんどそうだった。
結局子牛は死産で、親牛も乳が出ないため処分されることになった。
牛舎の外に連れて行かれる姿が、なんだか…うまくいえないが、いろいろ考えてしまった。
足が悪くてつらいままでも生きているほうがいいのか、早く楽になるほうがいいのか。
牛にきくことはできないし、いのちとは何なのかと思うと、易くは答えは出ない。
9月24日(日)
初めての休日。
遅く寝たのに、早く起きる癖が付いてきたのか、コンビニも開店していない時間に目が覚める。
午後はちょっと足を伸ばして40キロほどの距離にある紋別市街まで買い物に行く。
とにかく道が広くて信号がないので、みんな(私も)とばす。
70キロで走っていても、抜かれる。
そして同じような風景が続くため、眠くなる。
まぁ寝てしまっても、牧草地に突っ込むだけで人身事故にはならないと思うが…。
迷いようがない一本道ばかりなのに、見事に道を間違え、方向音痴の殿堂入りをはたす。
やはり昼間はとても眠く、1日2倍のペースはかわらないようだ。